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ロシアの自由への憧憬はナポレオン戦争の時に萌芽する
即座にヨーロッパの自由にふれた青年たちはデカブリストの風=反乱となるが血は流れデカブリストの妻たちの幾人かは神の愛=慈悲を祈って極刑地まで付き添い散ってゆく 革命の夫への愛を支えに
詩人プーシキンにその極北の流刑地から一片の志がとどく
剣をもってわれわれは鎖を断つだろう
あらたに自由の火を燃やそう
その火でツァーリを焼き払おう
人民たちは安堵の息をつくだろう
農奴制・奴隷制のくびきをはずそうとするもサーカスのように訓練された皇帝警察・軍隊の圧政の前では血は流れるしかない。自由主義と民族主義は革命の酵母である、と考える皇帝はひたすらヨーロッパの憲兵を自認しながら戦争こそ国威の示威の最良の手段であると目論んでいた。国威を示す栄光の王こそ西欧の民主政治より国民を幸福にしうるとこの男は堅く信じていた。こうしてクリミア戦争は始まり。敗北し。皇帝は死。長子が後継する。農奴制は専制の血と愛で立ちすくむ。やがて秘密結社「土地と自由」が生まれ。農奴解放が発令されるも。混濁のなか遠くではパリ・コミューンが生まれ。ナロードニキと平行するようにテロルが生起する。「人民の意志」党は皇帝への死刑宣告をもって地下に潜る。武器はダイナマイト。皇帝暗殺。・・それから24年を経た日曜日であった。
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人々は神と皇帝を信じていた。
人民がこれほど貧困にあえいでいることを知らないはずはない。父なる皇帝を神は導かないはずはないと。そのことを請願しなくてはならない。聖像と皇帝の画像を掲げた20万の行列は賛美歌をうたって冬宮に進んだ。まもなくして、広場の雪は血で染まった。
自由の種子は血の日曜日となって逆流する。
ツァーリは最初の選挙制の国会を開き慈悲を演ずるが、自らが倒れる「1917年」までの10余年の間にテロルと専制は大海ほどの血を吸った。
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